2016年2月21日日曜日

振り返らないことにした/善積

 『ベーコンエッグ感想戦ふたたび』というイベントから丸一年以上経って、今は2016年の冬です。私(善積)はたしか終了直後くらいに「ブログなど駆使しつつ振り返ります」的なことをツイッターに書き込んだきり、このブログをすっかりほったらかしにして、なるべくなら、おおっぴらに振り返らないようにしていたのでした。

 もう終わったことについて振り返る、ということを、別の言い方をしてみるなら、取り返しがつかない、ということでもあります。このブログのタイトルにある「Post Mortem」という単語は「感想戦」に当たる英単語を探してきてざっくばらんに置いておいたものですが、これには「after death」すなわち「検死」という意味がある。

 必要に応じて科学的に行なわれれば意義深い検死ですけれど、こと「死後の世界」においてはよほどそれが意味のあることだと感じられない限りは、話したり書いたりする原動力がなくなってしまうのですね。もうこの時間は通り過ぎたあとで、何を言ってみても、通り過ぎて戻ってこないこと、の重みに釣り合うほどの言葉はない。

 終演後、知人から「こういうことがやりたかったんだね」と言われて、「そうだ」とも「違う」とも言いがたく、どうにも黙ってしまったときが、今こうしてブログに文章を打ち込むにあたって私の立ち戻っている地点です。

 「こういうことがやりたかったんだね」というフレーズが頭の中で何度も反響しているうちに「お前はつまり、そういう奴だったんだな」という裏書きのような響きを持ち始めて、はたと気づいたのは、作品をつくることと自分自身との距離が測れていなかったということで、近くても遠くても、全身全霊を捧げるつもりでやるんでも気軽に好きなようにやるんでもそれは人の勝手でよいけれども、そもそも測れていないというのは、なるほど安定性に欠ける。続けにくい。消耗しすぎる。一出演者として演劇に出演したり、俳句を作ったり、楽器を演奏することとは全然違っていて、いちいちダメージが直撃する。選択が間違っていたのではなく、突然その選択をしていた自分が間違っていたことになる。手を検討している場合じゃなくなってしまう。「責任」と言われたときに真に受けてしまう。丸一年引きずり倒した理由はこの辺にあるんじゃないか。観測された失敗は共有できるが、失敗した自分が共有できるのは気分だけだろう。「作品をつくる」ことに重みがあるのは確かだけれど、重みを与えればよいというわけではない。しかし同時にそのある程度の重さにはおそらく馴染まなきゃいけない。重みはちょうどよく引き受ける必要がある、たぶん。「完璧に引き受けたい」のと「なんでもかんでも背負い込む」のはちょっと違う。

 「感想戦」という発想自体はよい、という考えには今も変わりないけれど、自分自身で実行するには不足していることがあった。できること・できないことの能力の面はあくまで置いておくとして、分かれ目であったはずの手筋が、リアルタイムでは、あるいは終了直後には見えていなかった。
 わたし個人の作業に限って書くことにしますが、五月の第一回は形になるのはギリギリだったがおおむねよろしく、十二月の「ふたたび」は、企画段階でも、後の作品をつくる段階でも悪手があった。いくつもあった。しかし、なかなか共有できる形で書けない、というのは言い訳として、何より結局のところ今後の自分自身のために、悪手だったと思う具体的な点は、いまは書かないでおくことにします。
 なぜ書かないか。半ば余談ですが、『モンスター社員を解雇せよ! すご腕社労士の首切りブログ』というブログの〈社員をうつ病に罹患させる方法〉という記事が昨年末に炎上していて、この中にこんな一節がありました。
①まずノートと筆記具を用意します。
それから、ノートに自分が今まで行ってきた失敗や他人へ迷惑をかけたと思っていること、不快に感じたこと、悲しかったことなどを思い出せるだけ書き、その事柄に対して自分に非があるように関連付けて考えて書いていくことを繰り返しましょう。うつ状態というのは自分を責める病気なので、後悔の量が多ければ多いほど(過去に否定的な執着する程)発症し易いです。

ヒャーと思いました。危ない危ない。今後もうまく切り分けられない失敗・悪手についてはきっと書かないだろうと思います。健康の為に。

 さらに余談。ファレル・ウィリアムスが'G I R L'を出したときに、その前のソロアルバムについて「精彩を欠き、物事を前に推し進めるという意図も欠落していた」(ライナーノーツより)だとか、「初めてアルバムを作ったときは自己中心的過ぎた気がするんだ。俺にとって大切なものについても(歌詞で)話した。とにかく「俺、俺、俺、俺、俺……」 という感じだった。あまり楽しめなかったし、ライブでやるのが恥ずかしい曲もあったよ。自分のこと過ぎてね。」(CINRA.NETより)だとか、言っていて、2014年にようやく2006年のことをさんざんに言ってしまえるようになる、ということもあるんだなあ。


 ふと思い立って書きまして、最終的に見てもらったものとはあんまり結びつかないようなことばっかりになりましたが、それにしても、このブログ、せめて終演しました、ぐらいは書いておけばよかったなあ。ずぼらですみません。ご覧頂いた皆さま、企画・公演にご協力いただいた皆さま、ありがとうございました。

 またどこかで!

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